この小説は、砂原糖子版「失われた時を求めて」である。
真頼の幸福の記憶はマドレーヌではなく、“秋分の日”に手渡されたコスモスに全て託されている。
彼が封じ込めた過去の記憶を紐解くのは、父のせいで阿蘇山麓の田園生活を余儀なくされた治。
見渡すばかりの青空、鳴り響く蝉の声、何処までも続く山の稜線、都会とは隔絶した風景が続く。
この生活に馴染めない治は、偶然発見したオサムに宛てられたマヨリの手紙に夢中になるのだ。
この手紙(ファントムレター)が、格別なのである。
誰かに読まれることを想定しておらず、ただ純粋にマヨリの気持ちを綴ったこの手紙には作為がない。
だから、私もマヨリの正体の謎を解き明かす過程にドキドキしている治の気持ちに同調していくのだ。
マヨリにサトルという友達ができたように、夏休みの課題を通じて治にも双葉という友達が出来る。
とはいえ、この物語はBLでありマヨリとサトルの関係はだんだん友情のラインを越えていくのである。
マヨリの心の機微は治に伝染し、治も双葉をそういう相手として意識し始める。
一方で、現在は東京でまずまずの生活を送る真頼と田倉の関係は何処かギクシャクしている。
かつての二人の関係を“擬似恋愛”だったと否定する真頼は、田倉の“結婚”に積極的なフリをする。
そして、まるで恋人たちのように田倉の式場選びに付き合い、真頼は理想の式を思い描くのである。
そんな真頼の頑なだけど健気な様子は、それこそ“擬似花嫁”そのものに見える訳で(笑)。
かくして、二組の准(準)―恋人達は手紙を通じて時と場所を越え、関係が交錯していくのである。
既に多くの読者が指摘しているように、この“構成”が見事で著者の筆力ならではの作品なのだ。
匙加減をちょっとでも間違えると、あざとかったり凡庸だったり虚飾的な物語になっていただろう。
現に田舎の幼馴染ラブストーリーとしては使い古された感の強い…要はロミジュリ的駆け落ちネタ。
恋人の母親に真っ向否定された真頼は心傷つき、母親と彼の間で為す術がなかった田倉は情けない。
真頼と治のW梢野視点で紡がれるので、田倉には一切の弁解の余地が与えられていないのだ…。
(その割に彼は、いい思いだけは何度もしているけど!)
ところで、山田親子も田倉母も真頼母も双葉の両親も田舎にある人物としてよく出来ている。
彼らの
至らない部分というのは、田舎ならではの素朴さの証であり田舎育ちの私には許容範囲内。
帰省した真頼と訓を彼らが冷やかしながら暖かく迎えてくれる日は、そう遠くないと思う。
<作品データ>
・砂原糖子『ファントムレター』(広乃香子・画、幻冬舎ルチル文庫)2012.3
↓は微妙にネタバレ注意!!
砂原糖子さんお得意のノスタルジーBLの美味なこと!!
もっともっと踏み込んだ感想書きたかったけど、キリがないので打ち止めです。
あ、1個だけ。
私は料理人に限らず手を仕事に使う人が、仕事中も指輪付けっ放しなのは頂けないなあ。
この物語の核心なので、真頼が外せないのは分かるんだけど。