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永遠なんか知らない 

アンドロイドネタが萌えと言ってみたり、ロボットモノは苦手と語ってみたり…。
我ながら、何でこんな自己矛盾抱えて無駄に生きているんだろうなあと思う昨今です(笑)。
萌えと苦手は案外近いところにあって、これらの対極はむしろ無関心ゾーンにあるのかもね。
この設定の匙加減一つで、私の弱い心は脆く(好き⇔嫌いの)バランスを崩してしまう模様。

さて、密かに楽しみにしていた運び屋シリーズ第二弾もとい完結編。
前回であっさり“天国”を拒絶した彼らは、“永遠”という時間感覚をもきっぱり無効化してきました。
潔いけれど、この突っ撥ね方は逞しいと思う一方、心の何処かに亀裂が入った気持ちになります。
時間の流れは、人間同士でも人間と動物の間でも違うのが当り前という現実をどう弁えるべきか?
納得は出来なくても何処かで折り合いを付けねばならないことで、そんな悩みと向き合う顛末です。
面白いのは、本来“成長”しない筈のクリスの“心”が逞しく育っていく過程を描いてる点にあるかと。
いつぞやも語りましたが、蓄積されたメモリーこそが彼の存在の確かさに繋がっていくのでしょうね。
読み込むだけでなくて、移植するだけでなくて、あらゆる環境から刺激を受けて直接向き合うコト。
ソレが大事なんだよね、と。

ところで、クリスは命令系統の優先順位を間違わない子なので今は信頼出来るアンドロイドです。
少なくとも、リアンと共同生活し続ける限りで彼が己のポジションに疑問を持つことは無いでしょう。
じゃあ、その後は?と考えてみましたが、リアンとの記憶が消去されない限り大丈夫な気がします。
じゃあ、別の“人間”によってメモリーの消去を強制されそうになった場合は、どうなんでしょう…?
彼はロボット3原則に抵触する動きを見せるかな?それとも…等と意地悪な妄想を始めてしまう私。
いや、この課題はまた別の機会に考えれば良い蛇足の話でしたね。

近日中に手に入るであろう、グラマラス・ゴシップはどうなるかな?
ナハハ!実はこっちも凄く楽しみなのです、という話でした。

<作品データ>
・清家あきら『永遠なんか知らない』(山田睦月・画、新書館ウィングス文庫)2010.10
〈運び屋〉リアン&クリス 永遠なんか知らない (新書館ウィングス文庫)〈運び屋〉リアン&クリス 永遠なんか知らない (新書館ウィングス文庫)
(2010/10/09)
清家 あきら

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[ 2010/10/24 03:29 ] novel 非BL | TB(1) | CM(1)

オセロー 

ウィキペディアによると、四大悲劇中もっとも“平明”な構造の作品とある。
私には、このエピソードが“悲劇”に分類されている理由すらわからなかったというのになっ!
“誠実”というコトバに過度に酔い、惑い、その帰結として破滅の道を歩む人々の風刺劇に見えた。
プロローグ以降一切の本音を閉ざし、道化に徹し、最後にはその饒舌な口まで閉ざした“彼”も、
太陽の如く燦然と輝く公明正大な主人公のオスカーも、最期まで貞淑と純真を貫き通すヒロインも、
私の想像とか理想の射程内にはいない人物像なので、どうにも“解釈”に困る戯曲であった…。

が、いつもの如く腐った目的で読み始めた私なので、腐った解釈で無理を通すことにする。
“憎悪”という情動で箍が外れたイアーゴーが、その対象に讒言を弄して奸計を講じる顛末の中に、
致命的宿命を帯びた二人の男達の、真逆なようで実は底辺が繋がっている関係を妄想してみたい。
意気揚々と露悪的に(しばしば婀娜っぽく)振る舞う彼の姿は、まるで性悪の誘い受けのようである。
目障りな彼を自身の側に陥れたいという身勝手な願望は、殆ど“やおい”そのものとも言えないか。
憎悪とか復讐で滾る心を秘めた男の、その目的の為に手段を選ばない姿はやはり“魅力的”である。
作中であらゆる登場人物の“誠実”を一貫して否定する悪役は、裏のヒロインに見えて仕方無い。

物語のエンジンそのものであった男が口を閉ざした瞬間は、確かに変則的でちょっと呆然とする。
彼の手の平で踊り続けることがこの物語の肝の筈なのに、語り手自らその役割をあっさり放棄…。
たった一人の主人公を陥れるその野望だけに特化した彼も、やはり“一途”なキャラなのである。
“一途”な登場人物達が、その“信念”のために生きることがミステイクの始まりだったのかも。
彼らの末路は、だからある意味因果応報的で予定調和だったように見える。

イアーゴーはオスカーのネガではなく、むしろデズデモーナのネガであったのだ、と。
これは“作品解釈”ではなく、妄想補完した私の“願望”である。

<作品データ>
・シェイクスピア『オセロー』(福田恒存・訳、新潮文庫)1973.6
オセロー (新潮文庫)オセロー (新潮文庫)
(1973/06)
シェイクスピア

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[ 2010/07/04 00:53 ] novel 非BL | TB(0) | CM(0)

天国になんか行かない  

アラスジでは基本設定を一切ネタバレしていないので、今回は久々に記事を下にします。
著者のあとがきには基本設定のネタバレアリなので、私のように予め読まない方がよろしいかと~。
今はBLよりもニアモードみたいで、この絶妙な“関係”がとても楽しかったです。
続きを、早く読みたい(注、中編二本立てシリーズなのでお話自体は完結しておりますが)。

<作品データ>
・清家あきら『天国になんか行かない』(山田睦月・画、新書館ディアプラス文庫)2010.5
〈運び屋(キャリアー)〉リアン&クリス 天国になんか行かない (ウィングス文庫) (新書館ウィングス文庫 151)〈運び屋(キャリアー)〉リアン&クリス 天国になんか行かない (ウィングス文庫) (新書館ウィングス文庫 151)
(2010/05/10)
清家 あきら

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[ 2010/05/08 21:02 ] novel 非BL | TB(0) | CM(0)

てのひらの闇 

私が、まだごく一部の作家さんを除いて全くBL小説を読んでいなかった頃に読んだ作品である。
が、未だ腐的な意味でこの作品を凌駕する主従萌えシチュエーションのBLには出会っていない。
先月の久我有加さんのディアプラス文庫の“仇枕”なんかは、かなり良い勝負だったのだが…。

藤原伊織さんと言えば、直木賞受賞作の『テロリストのパラソル』の方が有名&人気作品だと思う。
あるいは映画化された『シリウスの道』が今は認知度が高いのかな?世評に疎いので自信は無い。
実は上記両作品にも、腐的妄想…もとい想像の余地というか根拠が仕込まれていたりするのだが、
私が何より愛し、萌えたのはこの『てのひらの闇』…美化されたやくざの主従愛にトキメキを感じる。
主人公は46歳リストラ直前のリーマン、だのに彼は老若男女を問わず無駄にモテモテである(笑)。
18歳のガタイの良いハーフ青年、恩人の会長、タメ年の親友兼上司、そして彼を“若”と仰ぐ組長。
(女性もバリキャリ部下、大型バイクを乗りこなすお姉ちゃん、未亡人風シングルマザー等が登場)
以前読んだときは「こんなオッサンにありえん!」と思ったものだが、再読するとこれがアリなのだ。
46歳という年齢が、私の実年齢と萌えの射程範囲内に入っちゃって、さあ大変…じゃなくて残念…。

てのひらに残った火傷の痕は、彼の闇であり彼と様々な人間の間柄を紡ぐ赤い糸(くず)でもある。
そのスティグマは彼の業であり、消せない過去で記憶でありながら、彼の人生に転機をもたらす。
著者特有の軽口のハードボイルドスタイルで、最初は慎重に振舞いつつ読者に手の内を見せない。
が、とある事件を追ってくことで、複数の人間との出会い/再会を通じて背景は明らかになっていく。
彼を含め登場人物達は皆、多かれ少なかれ泥水を啜って、あるいは泥を被って孤独を生きている。
そんな人間たちに物怖じせず、彼は彼なりの(暴力含む)仁義を切っていく、そんな話である。

一方で、二組のヤクザ世界の若紫というかマイ・フェア・ボーイ的主題が対比されていて興味深い。
不幸な生い立ちの稚い若紫を温室で甘やかして育成してみたら、取り返しのつかない事態に発展。
しかも、気づけばそこにはヨコシマな想いも加わっているから、さあ大変~♪な展開も見所の一つ。
BL的にもはた迷惑なCPとしか言いようが無いけれど、彼らもそうなるまでの紆余曲折があった筈。
となると彼らの関係も無碍には出来ないし、そもそも主人公サイドの主従愛を引き立てる役な訳で。
言葉数の少ない年上従者敬語が堪らない♪…しかも、堀江の永遠の守護者ときたもんだ。

これが、萌えずにいられるか!大好きです!!

<作品データ>
・藤原伊織『てのひらの闇』(文春文庫)2002.11
てのひらの闇 (文春文庫)てのひらの闇 (文春文庫)
(2002/11)
藤原 伊織

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[ 2009/11/08 01:24 ] novel 非BL | TB(0) | CM(0)

太陽を曳く馬 

当ブログをザァッと眺めて頂ければ一目瞭然ですが、私はBL以外の小説を殆ど読まない人間です。
今年から積極的に記録するようになった読書メーターでは、更に私の読書“傾向”は顕著かと(笑)。
今回久しぶりにハードカバーの小説を読んで改めて思ったのは、やはり極力読みたくないな、と…。
殊に読書に関しては自制が効かないので、ハマると寝食を忘れて一気に読み耽っちゃうからダメだ。
ノンフィクション(教養/専門書)は、酒のつまみのようにチビりチビり箸を休めつつ読めるのですが、
続きが気になって気になってしょうがない“面白い”小説は、ノンストップで限界までイっちゃうので。
つまり、今回の高村作品も私にとっては紛れも無く“面白い=小説@物語”だったという話です。

『英国妖異譚』で妖精が語る、「持続して考え続けることでエネルギーが満ちてくる」を思い出す。
アプローチ方法が違うだけで、本質は篠原美季さんやM.エンデのファンタジーと同じように見える。
ひたすら“他者”を眼差し、諦めずに沈思熟考する主人公を通じて、彼らと読者は真理に辿りつく。
真理という単語は語弊を生じると言うなら、フィクションにおけるカタルシスと言い直す方が的確か?
開かれたステージor地平に到達する開放型エンディングなので、読後は大変気持ちが良い作品。
過程の苦難が決して解消されるわけでは無いけれど、可能性の“光”を見失わない結末だった筈。
そうでなければ、物語で問われ続けられた、語り続けられた“生”の根底が崩れ落ちてしまう。

彼の“涙”は、『唇にキス、舌の上に愛』で理人がレストランで流したソレと同じ味がした…気がする。
よりによってそこかと思いつつ、そのシーンはその瞬間にしか立ち現れようがないだろうと知りつつ、
ウィトゲンシュタインが語りえないと判じ、バタイユが不可能なものと定義した“愛”の局面だよね?
アンアンとかキャンキャンとかスイーツ層とかが、嬉々として簡単に口にするソレとは違うけれど…。
さりとて、私もその違いを直観的に認識できたところで、それを説明する気力と論理は見失っている。
そういう意味では同じ穴の狢だし、私の内面にもスイーツやらモンスター某に通じる暗い穴はある。
ソレはオウムやらニヒリズムやらペシミズムにも通じていく、“ルサンチマン”という名の穴である。
私(の存在)だって脆く、崖っぷちの立ち位置でギリギリのバランスで世界に辛うじて繋がっている。

真の意味で危ういのは、精神バランスの失調ではなくて、己の穴を見据えられない弱さであろう。
真の意味で貧しいのは、他者の穴の先にあるかもしれない光の可能性を見ようとしないことだろう。
現代の刻印を帯びた私は、何処までも他者に無関心で冷酷で、不寛容で不誠実だったと猛反省。
まさに、汝自身を知れ、だな(笑)。

<作品データ>
・高村薫『太陽を曳く馬』上・下巻(新潮社)2009.7

太陽を曳く馬〈上〉
(2009/07)
高村 薫

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太陽を曳く馬〈下〉
(2009/07)
高村 薫

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[ 2009/09/07 22:36 ] novel 非BL | TB(0) | CM(0)
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Author:tatsuki
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